楽ではない!雇われずに自由に生きることの危険性とは

どうも、自由大好き人間のアオ(@sh0g0_a0ki)です!

 

最近、会社の同僚がよく仕事に対しての愚痴をこぼすようになってきました。

「会社を辞めたい」「休みたい」などなど……

 

正直僕は今のに対してストレスを感じたことがないので彼の気持ちが全然分かりません。

でもどうやら彼は雇われない”自由”を求めているみたいです。

 

“自由”って良い響きですよね。

 

様々なものに縛られて生きている僕たちは、自由というものにたびたび憧れます。

でもそれは人によっては楽でもなければ楽しくもないものだったりもします。

 

みんなが憧れる人間のあり方は実は万能じゃないんです。

 

会社に雇われず、学校へ行く義務もなく、家族も全く干渉してこない自由な生活。

 

僕は人生の中で、時間的自由も人間関係的自由も経験してきましたし、今もそのまっただ中にいます。

でもそれは決して楽なものではありません。

 

耐えきれないという人もいるでしょう。

 

安易に自由を求めるけど、じゃあそれを背負う覚悟は本当にできているのか?

いきなり自由を与えられたときに、その中で本当に自由を謳歌できるのか?

 

突然休みをもらったときに、何をすれば良いのか分からずに時間を無駄にした経験はありませんか?

 

そういう人は安易に自由に手を伸ばすのは危険です。

 

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自分で決めて自分で行動しなければならない

会社に勤めていたり、学校へ通っていたりすれば朝起きてからやることが自然と決まってきますよね。

 

社会にいるほとんどの人は決められた時間までの指定された場所へ行き、与えられた自分の役割をこなす生活を送っているわけです。

 

でも会社も学校も行かなくて良いとなったらどうでしょうか?

あなたは朝起きてから夜寝るまでにいったいなにをやりますか?

 

もちろん、お金は働かなければ手に入らないし、学生でも会社員でもない時間が長くなればなるほどに日本での社会的信用はどんどん失われていきます。

 

今までは誰かが敷いてくれたレールを歩いていれば良かったかもしれない。

でも、一旦「なにをしてもいい」という環境に放り出されれば、そこに道はありません。

 

道は自分で作っていくしかない。

自分で考え、自分で決断し、自分の決めたことに従って行動する。

 

これって当たり前のことと言えば当たり前のことですよね。

 

でも、今日本で働いている人の中で、これができる人間ってかなり少ないです。

誰かが決めたことに従って、誰かの後ろをついて歩いていく。

 

自分で考えているつもりでも、そこには必ず誰かが敷いた道がある。

 

まるで補助輪付きの自転車に乗っているようなものです。

そして、膨大な年月をかけて昇進し、補助輪が外れて初めて自分で決めるという立ち位置になるわけです。

 

つまり僕たちが自由を手に入れるというのは、企業の上級役職または社長と同じような思考をして生きていかなければならないということです。

 

全ての行動と結果が自己責任になる

自分で決めて自分でやってみた結果、どんな悲惨な結末が待っていようとも他人のせいにすることはできません。

 

先生のせいでも上司のせいでも国のせいでもなく、全ては自分のせいになる。

自分が必至に考えた上での決断と行動があっさりと失敗に終わるというのはザラです。

 

周りから非難されたり笑われることもあるかもしれません。

 

それでも全部自分が悪い。

 

自由を手に入れるというのは、それを受け入れなくてはいけないということでもあります。

 

人間誰しも、何か失敗したときには他の人が絡んでいたり、環境が絡んでいたりするものです。

 

でも自由に生きているという状態になれば、それを選択したのも自分自身ということになります。

 

付き合う人間、身を置く環境。

その全てにおいて自分で選択を繰り返して人生をつないでいくわけです。

 

リスクなしには生きられない

正直現代において、リスクなしの環境というのはあり得ないので、これは自由を手に入れていなくても言えることです。

 

とはいえ、社会的な周りの目が違います。

正社員でも学生でもない人間というのは、現代の日本においてはまだまだ信用度は低いです。

 

家族や友人、恋人、恋人の家族などなど。

既存の人間関係を良好に保っていくのはどんどん難しくなっていきます。

 

たとえば、自分の娘が正社員じゃない人間を彼氏にしたとして、その男と娘の結婚を快諾するのか否か。

たぶんほとんどの人は反発するかと思います。

 

そういった人間関係のリスクや、経済的なリスクというのは雇われない生活を送る上では避けられません。

 

外に保障を求める人間には自由はおすすめできないということです。

 

さいごに

家にガミガミうるさい親がいても、会社に嫌味な上司がいても、学校の授業がつまらなくても、あなたはそれに守られているわけです。

 

一度失えば簡単に分かることですが、逆に失ってみないとそれらの価値は分かりづらいというのは仕方のないことなのかもしれません。

 

自由は優しくも楽でもありません。

自由は非情であり残酷です。

 

守られている環境をわざわざ捨ててまで、本当に手を伸ばす価値があるものなのか?

それを改めて考えてみて欲しいと思います。

 

そのうえで、僕と同じように自由を求めるのであれば、ぜひ一緒に頑張りましょう。

 

この記事があなたの道を照らす星になりますように。


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