ここにある今を生きるアオのプロフィール

高校3年生になったある日、僕は自分の将来について真剣に考えるという行為を初めて体験しました。

 

この頃、僕はラーメン屋のアルバイトを辞めて、部活もせずにバンド活動に夢中になっていました。

毎日のようにカラオケで歌の練習をし、スタジオでバンドメンバーと練習をして、充実した日々を送っている気になっていたんです。

 

そんなとき、当時付き合っていた彼女が言語聴覚士になるために医療大学に行くと言い始めました。

ずっと近くにいて、なんでも知っていると思っていた人間から発せられた聞いたこともない職業の名前でした。

 

このとき、そこにあって当たり前であり、そこにいて当たり前のものが、とても不安定で今にも崩れてしまいそうな状態になっていることを僕は認識しました。

 

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大学受験の失敗

 

地元の普通科高校に推薦入学した僕は、入学当初は特進クラスに振り分けられました。

小学生の頃から、評判の良かった北海道千歳高等学校での生活に憧れ、必死に勉強した結果、通常の入試を受けることなく、あっさりと合格してしまって拍子抜けしたのを覚えています。

 

しかし、「千高は頭が良い」と思い込んでいた僕は、周りのレベルの低さに唖然としました。

腰まで制服のズボンを下げた、頭の悪そうな茶髪の学生たちが同じ校舎にいたのです。

最初は見た目通りの学力の彼らに嫌悪感を示していましたが、次第に彼らの存在には慣れていきました。

そして僕は完全に周りの学ぶことに対する意識の低さに飲まれていったのです。

 

自分で考えることをやめ、周りに流されながら、目的もないのに『楽しい』と噂の大学生活に憧れるようになりました。

 

しかし、僕の両親からは進学に強く反対されました。

僕の家はお世辞にも裕福とは言えない状態です。

高校を卒業したら家のために働いて欲しいと言われても無理はありませんでした。

 

僕の家庭環境では、経済的に大学へ進学するのが厳しいことは明白だったわけです。

 

それでも僕はそんな親の反対を押し切って、大学受験に臨みました。

受験したのは札幌の公立大学のデザイン学部。

空間デザインに関心があったのは事実ですが、デザインという分野に真剣に向き合ったことはありませんでした。

 

そして中途半端な覚悟で臨んだ感性を問われる難易度の高い二次試験に、僕は当たり前のように不合格となりました。

試験にも面接にも落ちたことがなかった僕にとっては、これが初めての挫折でした。

 

自分には何でもできると思っていた。

越えられない壁などないと思っていた。

真剣に取り組まなくても、今までは全てうまくいっていたから。

 

そして僕は、いつの間にか、真剣になることや努力することのやり方を忘れてしまいました。

何に対しても必死になることができない。

無気力で夢を見ない思考停止人間のできあがり。

 

高校の友人たちの大半は大学へと進学しましたが、僕は親の願望通りに卒業と同時に新千歳空港で働くことになりました。

ANAの貨物郵便科での肉体労働

そして、大学生活を満喫する友人と社会人として働く僕の間には価値観のズレが生まれ始め、僕の友人関係はどんどん希薄になっていきました。

 

彼女との破局

 

卒業してANAで働くようになってからも、高校2年の頃から交際していた彼女との関係は続いていました。

彼女は無事に志望していた医療大学に合格し、目標に向かって順調に進んでいるようでした。

 

大学生の彼女と社会人の僕の生活時間は噛み合わなくなっていき、会う時間は徐々に減っていったんです。

そんなある日、彼女から一通のメールが届きました。

 

好きな人ができたの

 

僕はあまり驚きませんでした。

元々彼女は浮気性だったので。

これまでにも何度か浮気をされたことはありました。

それでも失いたくないと思った僕の弱さが先延ばしにしていた当たり前の結果だったのかもしれません。

 

もちろん悲しくないと言えば嘘になります。

そばにいて当たり前だった彼女は新しい彼氏との時間を過ごすことになるのですから。

僕を必要としてくれていた唯一の人間がいなくなってしまったようで、胸にポッカリと穴が空いた気持ちでした。

 

そしてこれからしばらくの間、僕は職場の人間と親としか顔を合わせることのない生活を送ることになります。

 

家庭環境の崩壊

ANAで働き始めて、給料をもらうようになった僕だったが、自分のために使えるお金はわずかなものでした。

給料の大半を父の借金返済にあてていたためです。

 

僕の両親は自営業を営んでいましたが、借金返済と生活費をまかなうには明らかに不足していました。

両親はお互いに離婚した同士で、元々の相手との間にどちらも子供を持っている状態でした。

僕とは半分血が繋がっている兄や姉がいるということです。

 

父の元家庭の子供たちは、全員自衛官として勤務していました。

僕は親のお金ではなく、国家公務員で安定した収入がある彼らのお金で養われていたという事実を知ったのはつい最近のことです。

 

しかし借金を作った張本人である僕の両親たちは、毎日のように外食をしたり、突然高価な家具を購入してきたりと、好き放題にお金を使っていました。

本人たちが返済する気のない借金の返済に自分が汗水垂らして稼いだお金の大半が使われているわけです。

 

父は僕が幼少の頃から暴力を振るう人間でした。

俗に言うDVというやつです。

だから僕には元々、彼を助けたいという気持ちは全くありませんでした。

 

僕は親を捨てるという選択肢を迷わずに選びました。

親のために生きる人生に価値を感じなかったから。

 

このとき、たまたま連絡を取っていた中学時代の友人に冗談半分で「かくまってくれない?」と言ってみたところ、「べつにいいよ」と即答してくれました。

友人は札幌で学生をやりながら一人暮らしをしていました。

 

その数日後、父にこれ以上お金は渡せないという旨を伝えたところ、大喧嘩になりました。

今までの人生の中で一番怒鳴り散らした夜だったと思います。

 

そして事前に荷物をまとめていた僕は、元々一緒に暮らしていた母の元家庭の子供である姉に連絡して車を出してもらい、すぐに家出を決行しました。

 

こうして僕は18歳の夏、家族、恋人、仕事の全てを失いました。

 

アルバイトの日々

友人が暮らしていたのは1Kの質素な部屋でした。

1つの小さな部屋に男2人でしたが、彼は嫌な顔せずに僕を約半年間かくまってくれました。

一文無しで飛び出してきた僕に、飲食店でのアルバイトで習ったトマト缶で作った冷製パスタをふるまってくれたのを覚えています。

 

その後、父親との生活が上手くいかなくなったという理由で家から出てきた姉と一緒に借りた部屋で同居することになります。

友人の家から歩いて行ける距離にある部屋でした。

 

それから僕は生活のため、ひたすらにアルバイトに時間を使いました。

ホストクラブでの接客、警備会社での交通誘導、イベント警備、派遣での倉庫作業、コールセンター、美装会社でのマンション外壁の清掃や大通公園の落ち葉清掃。

当時の年齢のバイト君にしては稼いでいた方だったと思います。

 

僕はこの期間で特定の仕事ではなく全般的にいう「仕事」というものに慣れていきました。

 

陸上自衛隊への入隊

アルバイトで食いつなぐ生活にも慣れてきた頃、知り合いの紹介で陸上自衛隊の広報官と話す機会がありました。

一度就職しなければいけなくなるのだろうと心のどこかでずっと思っていた僕は、陸上自衛隊への入隊を決意しました。

 

しかし、合格通知が届いたときは、複雑な気持ちでした。

正直絶対にやりたくない仕事だったんです。

というのも、半分血の繋がった兄や姉が自衛官でしたから

それでもやるしかないと覚悟を決めて、前期新隊員教育に臨みました。

 

教育中に辞めていく同期が何人もいました。

前期新隊員教育は人生で一番長い3ヶ月だったと思います。

おそらくこれからの人生で、あの期間より濃い時間を経験することはないでしょう。

 

前期の反動で後期教育はあっさりと乗り越えることができました。

着隊後は同期や先輩にも恵まれ、4年間の充実した生活を送ることになります。

 

着隊することになった勤務先は地元である千歳の駐屯地でした。

このとき、僕は2年半ぶりに父に会うことを決意しました。

しっかりと向き合わなければいけないと思ったから。

もう全てから逃げないと心に決めた瞬間でした。

 

久しぶりに会った父は、随分と老けたように見えました。

髪は白髪でどこか弱々しい。

 

話をして、休みの日は実家に帰ることを許可してもらうことができました。

僕は家族との関係を取り戻したのです。

 

僕はこのとき人生で初めて、本当の意味での充実を味わいました。

現実から逃げていた高校時代とは違う自分でつかみ取った本物の充実感でした。

 

 

自由に生きる覚悟

僕は全てを取り戻すだけでは満足できませんでした。

この先、このまま自衛官として一生を終えるというビジョンには納得できなかったのです。

 

幸せの定義は人それぞれ違います。

でも多くの人の目指す『幸せ』には『お金』という存在がついて回るものです。

 

だけど、お金よりももっと大事なものは『時間』。

お金は生きるための時間を手に入れるための引換券のようなものです。

 

どんなにお金を稼いでも、それを若いうちに使えなければ意味がありません。

ジジババになってからの世界がどうなっているかは分からない。

そもそも定年退職するまで生きていられるかさえ怪しいというのが現実です。

 

僕は適度なお金と自由な時間を両立させて初めて幸せになれると思っています。

 

僕は自衛隊での生活で時間を確保することができませんでした。

 

だから僕はどちらも手に入れる確率のある道を選択したのです。

退職という道です。

やっと手に入れた安定と呼ばれている環境を僕は自ら手放しました。

 

何かを捨てなければ、新しいものを手に入れることはできない

手で持てるものには限りがあるから。

でも、捨てたものは後から取り戻すことができます。

専用の入れ物を用意して、拾いに行けば良いんです。

 

だから僕は手に入れたいもののためであれば、大切なものでも捨ててやる覚悟はできています。

 

時間とお金の両方を手に入れる方法を追求し、それを多くの人に伝えたいと思っています。

多くの人に信頼してもらえる人間になるために全力を尽くしたい。

 

そのために僕はこのブログ「Guiding Stars」を作りました。

既にブログがきっかけで新たな出会いが生まれ始めています。

ここから繋がる関係がそれぞれの未来を照らす星になることを願って情報発信活動に力を入れていこうと思います。


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